あとがきを読む

1.『廃墟で歌う天使』

 最近、古典的文献を「古くさい」と切って捨ててはばからない風潮が見られる。しかしそれはあまりに軽はずみな見方である。過去を軽んずることは、現在に目を閉じることと同じである。
 なぜなら、〈現在〉とは、いまこの瞬間に突如として現れたものではない。その背後にはそこに至るまでのプロセスがあり、その前には、これから続く未来へのプロセスがある。現在とは、遠ざかっていく過去とまだ見ぬ未来のはかないはざまに過ぎない。まさに、ベンヤミンの愛したクレーの「新しい天使」と同じく、われわれは過去の堆積をわずかな手がかりとして未来へ吹き送られていくのである。いってみれば、われわれが未来をのぞく媒体は「過去」しかない。   
 また他方、古典を参照することを、「権威主義」と感じる人もいるようだ。たしかに、「虎の威」を借りて議論をする人はいる。こうした戦略は一種の詐術である。欺されてはならない。
 だが同時に、古典は、光り輝くインスピレーションの集積でもある。 本書でも見たように、ベンヤミンは、ショック作用を引き起こす異化のための方法論として、「引用」と「蒐集」を挙げている。つまり、まさに彼は、「引用」や「蒐集」を、他者の威光へのただ乗りとしてではなく、むしろ、もとの文脈を解体し、新たな可能性を発見する行為として見いだしていたのである。だから、自分自身が「古典」となった現代、
 本書において、自分の言葉がバラバラに引きちぎられ、〈初音ミク〉とremixされることをも、ベンヤミンは笑って受け入れてくれるかもしれない、といささか自己弁護的に思ったりしている。
 だが改めて考えてみると、「引用」と「蒐集」に没頭し、「遊戯」をたたえるベンヤミンは、どこか、現代のオタクの風貌を漂わせている。ベンヤミンの文章が同時代人の言葉として聞こえてくる。
 それも理由のないことではない。鋭い社会観察眼は、時代に囚われない、普遍的な社会のダイナミズムを見抜く。ベンヤミンが生きていたのは「複製技術時代」であったが、彼のまなざしは「メタ複製技術時代」の現代までも見通している。だから彼の議論が、複製技術時代よりもむしろメタ複製技術時代を的確に捉えていることもある。
  ベンヤミンは、古典である以上に、現在形(アクチュアル)な同時代人でもあるのである。
 ベンヤミンを批判的に継承する著者のこれまでの議論は、『メタ複製技術時代の文化と政治』(勁草書房、二〇〇九年)にまとめられている。あわせてご参照いただければ幸いである。
 また、本書では紙数の関係で省略することになった、フーコーやアガンベンの生?政治論、マクルーハンのメディア論などとの関係については、またあらためて議論したいと思う。
 本書の執筆にあたって、編集者の中西豪士氏にはたいへんお世話になった。慶應大学東門前のカフェで最初の打合せをして以来、一年が経ってしまった。その時を懐かしく思い出すとともに、刊行までのご尽力に感謝する。

まだ春寒い三田の四月に

遠藤薫


2. 『難民と市民の間で』

  二〇一二年の一〇月に、東京国際映画祭に出品された映画「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)を観る機会があった。主演のバーバラ・スコヴァが演じたハンナ・アレント(Hannah Arendt 一九〇六?一九七五)は、戦前にユダヤ人としてナチス・ドイツから迫害を受け、戦後はアメリカに亡命して活躍した政治思想家である。二〇世紀の全体主義と対決し、それを乗り越える社会のあり方を「公共性」をキーワードとして追求し、その成果は主著『人間の条件』にまとめられている。映画では、アレントが一九六一年にナチスの元高官アイヒマンに対するイスラエルでの裁判を傍聴し、その裁判への批判を記事に書いて、ユダヤ人同胞らからバッシングされる事件に焦点があてられている。アレントはユダヤ人を大量虐殺したナチスを厳しく批判しつつ、同時に、そうしたナチスの台頭をなぜ許してしまったのかを真摯に問うことなくナチス元高官の弾劾に終始するイスラエル国家をも、痛烈に批判したのである。同映画は二〇一三年に各国で上映され、日本でも、二〇一三年の一〇月から全国で順次一般公開される。
 アイヒマン裁判を傍聴したアレントが強調するのは、大量虐殺という二〇世紀最大の悪が、実はきわめて凡庸な普通の人々によってなされたという事実である。そうした人々は、ただ自らの職務にのみ専心し、その意味を深く考えることをしなかったが故に、大量虐殺に加担してしまったのだとアレントはいう。そして、そのような全体主義を克服して、すべての人々が異質な他者を排除することなく自由に活動できる世の中を作り出していくことを説いた。彼女にとって公共性とは、まさにそうした、排除や差別のない、自由な活動が展開される世界を意味していた。
 『ハンナ・アーレント』を監督したマルガレーテ・フォン・トロッタと、主演のバーバラ・スコヴァは、一七年前の一九八五年に発表された映画『ローザ・ルクセンブルク』でもコンビを組んでいる。私は一九八七年に東京の岩波ホールでこの映画を見た。今でも手元にそのときのパンフレットがある。
 政治活動家のローザ・ルクセンブルクと思想家のアレントは一見対照的に見える。しかし、本文でも書いたように、アレントはローザ・ルクセンブルクから大きな影響を受けている。その背景には、アレントの母親がローザの熱烈な支持者であったこと、夫のブリュッヒャーがスパルタクス団のメンバーであったことなども関係している。しかし、より直接的には、アレントのめざす公共性の世界が、排除や差別のない、自由な活動が展開される世界であるという意味で、ローザがめざしていた革命と、深いところでつながっていたからであったといえる。
 アレントの主著である『人間の条件』は、そういうアレントが構想する公共性と、その担い手である市民の条件を徹底的に探究した理論的結晶の書である。同書の刊行から半世紀以降を経た今日、彼女が考えていた公共性が新しい形で現実化しつつあるのではないだろうか。
 以上の点をふまえて、本書では以下の二つの課題を達成しようと努めた。
 ひとつは、『人間の条件』の骨子をなるべくわかりやすく伝え、かつ、アレントの思想の全体像もつかめるように心がけた点である。
 もうひとつは、まさにここが本書のチャレンジであったのだが、現代の教育問題と関わらせながらアレントの思想の意義を論じ、そのことを通じて、上で述べたようなアレントの公共性論が現代において新しい形で現実化しつつあることを理論的に明らかにしようとした点である。「難民と市民の間で」というタイトルは、まさにこの点を意識したものである。
 本書の執筆にあたっては、編集者の中西豪士氏から、何から何まで本当にお世話になった。氏の支えと助力がなければ、本書がこれほど早く刊行されることはなかっただろう。記して謝意を表したい。
 また、いつものことながら妻には、適切なコメントをもらい、本書をよりよく仕上げることができた。感謝したい。
 
二〇一三年八月

小玉重夫

付記:なお、本書各章の注釈は読者の便宜をはかるために、また、本シリーズの書式を踏襲して、著者名と書名のみ(邦訳があるものについては邦訳の書名)の最小限の表示となっている。原書や英文を含む詳細な書誌情報は、巻末の文献リストを参照されたい。また、引用に際しては、邦訳を一部改訳した部分もある。原書や英訳からの引用は、私の訳文である。



3.『日本人のわすれもの』

 『忘れられた日本人』をはじめて読んでから三五年になる。大学一年生になり、民俗学などというものに興味を持つようになったばかりのときで、一九八〇年(昭和五五)六月だったと思う。まだ、岩波文庫版はなく、『宮本常一著作集?第一〇巻』で読んだ。宮本の著作のなかで、いちばん最初に読んだのが、この『忘れられた日本人』だった。
 といっても、これはまったくの偶然で、宮本常一がどういう人かも知らず、書店の棚で、おもしろいタイトルだなと思い、立ち読みしてから買った。だから、最初、『忘れられた日本人』が宮本のもっともよく知られた作品であることさえ知らなかった。
 宮本が亡くなったのは一九八一年(昭和五六)一月三〇日であったから、わたしがはじめてその作品を読んでから、その半年後には、『忘れられた日本人』の著者はこの世を去ってしまった。妙な記憶の連鎖なのだが、ジョン・レノンの死がその前月の一九八〇年(昭和五五)一二月八日で、正月をはさんでの、ジョン・レノンと宮本常一の死が、わたしにはいまだにワンセットになっている。
 宮本が亡くなった年の夏、八月のはじめごろだったと思う。新宿の紀伊國屋ホールに坂本長利のひとり芝居「土佐源氏」を観に行った。四九九回目の公演といっていたのを覚えている。記憶はさだかではないのだが、紀伊國屋ホールに井上ひさしの芝居「小林一茶」を観に行き、そのときに「土佐源氏」の上演を知り、観に行ったように記憶している。ただ、この記憶はあいまいで、「土佐源氏」を観たのがさきで、あとから「小林一茶」を観たのかもしれない。
 いま、このような行動をとっていた自分を思い出してみると、『忘れられた日本人』に出会った直後から、『忘れられた日本人』と宮本常一は、自分のなかでいつも気になる存在だったのだろうと思う。下宿が古本屋街の近くだったので、古書店で『宮本常一著作集』の端本をみつけると、すこしずつ揃えた。
といっても、『忘れられた日本人』について何か論じてみようとか、宮本常一とその学問について評論めいた作業をしてみようとか、そうしたことは考えたこともなく、一読者として、宮本から学ばせていただき、また、楽しませてもらってきた、というのが正直なところである。
 本論でもすこしだけ述べてみたが、宮本の文章になにげなく存在している情景描写の美しさは、研究者のモノグラフとしての文章ではなく、宮本特有の表現であると思う。それが、モノグラフとしての厳密さを欠かせることにもなり、マイナス要素として作用していることもある。しかし、そのすぐれた情景描写によって、読者であるわたしたちはいつのまにかその文章を読みすすんでしまう。「宮本常一にはまってしまう」のは、このすぐれた情景描写に代表される独特の表現方法によってではないかと思うこともあった。
 ついこの前のように思うのだが、最初に『忘れられた日本人』を読んでから三五年たっている。そのころからわずかながらもフィールドを重ね、いまもなんとか続けているので、宮本常一とその作品を批評してもよいのではないか、と考えた。前著『宮本常一—逸脱の民俗学者』(二〇一三、河出書房新社)は、評伝の形態をとり、宮本の本体とでもいうべきその学問をおった。これに対して、今回は『忘れられた日本人』をとりあげ、その本体ではない周辺をおってみた。その研究上の著作よりも『忘れられた日本人』の方がよく知られている以上、これは避けられないことであろう。
   宮本常一をして「巨人」だのと持ち上げ、自己肥大化や自説の権威づけのために、宮本や『忘れられた日本人』を利用することはあってはならない。もっとも、これは宮本常一ならずとも、誰であっても同じである。柳田国男など民俗学者とされる人たちが論じられるとき、こうした「巨人」持ち上げ型が多いように思われる。近年では、柳田だけではなく柳田周辺にまでそれが拡大し、そうした傾向はおさまることなく続いているように思う。
 とにもかくにも、四〇〇字詰原稿用紙に換算すれば三〇〇枚程度のものであるが、『忘れられた日本人』についての自分なりの批評を仕上げることができてほっとしている。本書はひとつの読み方にすぎないのであって、ほかにも多様な読み方があっていいと思う。
 『忘れられた日本人』だけではなく、宮本常一を読むと、どこか心が豊かになる。人間を信じたくなり、なんとなく性善説になってしまう。こんな感覚を覚えさせてくれるだけでも、その作品群はとても貴重に思われてならない。
 『忘れられた日本人』だけではなく、宮本常一の作品群が、これからも多くの人たちによって読み継がれていくことを願ってやまない。

二〇一四年(平成二六)春   

岩田重則



4.『「格差の時代」の労働論』

 本書を執筆するきっかけのひとつは、東京農業大学で二年間「法と社会」という科目を担当し、「労働」「企業」「消費」「市場」「福祉」というテーマに沿って講義したことである(教科書としては本書でも参照している『経済倫理のフロンティア』(ナカニシヤ出版)を使用した)。
 この授業では各単元の終了ごとにリアクションペーパーの提出を課題として要求したが、「労働」の単元では「講義の内容を踏まえ、これまでの皆さんの経験に基づいて、労働はどうあるべきか、労働を「仕事」にするには会社や社会のシステム、働く者の意識はどうあればよいのかについて論じよ」といった内容の課題を示した。基本的に私は出席を取らない主義なので、この授業も出席を記録していなかった。それゆえ授業に参加している学生は押し並べて真面目な子であったと思われるが、リアクションペーパーを読んで驚かされたのは、アルバイトを遊興費ではなく生活費を稼ぐために行っている学生が予想よりも多かったこと、仕事(バイト)に対して大変真摯(生真面目?)に向き合っていること、働くことは自己実現につながり、他の人(同僚や顧客)から自分を認めてもらうことであると考えている学生が少なからずいたこと、である。
 今の大学生と私とでは二〇歳ほど年齢が離れているが、私が大学生だった頃よりも、働くこと(アルバイトや就職活動)に対する向き合い方が大変実直であり、そして深刻であるという印象を受ける。立教大学で同僚であった同年代の先生もそういった印象を今の学生から受けていたようである。こうした仕事に対する学生の生真面目さに乗じて、現在ではブラック企業どころかブラックバイトという現象も報告されている。
 大学生のこうした意識の変化の理由は、本文でも言及したように雇用状況の悪化もあるが、それとともに、バブル期以降の一九九〇年代に生まれた彼ら・彼女らは好景気とは何であるのかを知らないように、資本主義的福祉国家以外の国家の選択肢を知らないがために、こうした社会状況のもとでも自分の力でなんとか生きていかざるをえないと達観しているようにみえる。旧ソ連や東欧諸国の社会主義体制が望ましいものであったとはもちろんいえない。しかしながら、少なくとも、資本主義体制を相対化する(絶対視しない)役割がこうした国の存在にはあったと思われる。
 それゆえ、本書では、資本主義的福祉国家を相対化するための一つの視点として、「財産所有の民主制」を提示している。この社会体制がどのようなものであるのかについてここでは繰り返さないが、ひととひととの間柄を重視するという意味でのsocialism(間柄主義)を私有財産制度のもとで実現している社会システムであるともいえる。

 本書は筆者によるジョン・ロールズに関する二冊目の単著となる。最初の本(『ロールズのカント的構成主義—理由の倫理学』(勁草書房))はロールズ哲学の理論的な側面に照準を絞った専門的な研究書であったが、本書はロールズ哲学の実践面に焦点を合わせた一般書となっている。初めての一般書の執筆ということもあって、今回担当をしていただいた中西豪士氏からは一般の読者はロールズに関してどのようなことを知りたいと思っており、現在の社会情勢に対していかなる指針をロールズに求めているのかについて、様々な助言を頂いた。中西氏のコメントや質問にすべて回答できたわけではないが、本書は中西氏とのコラボレーションの成果となっている(もちろん文責はすべて私にある)。
 本書の執筆期間に私は所属を東京大学死生学・応用倫理センターから立教大学コミュニティ福祉学部、そして高崎経済大学地域政策学部へと移動することになったが、いずれの大学においても先生方や職員の方々から数多くのサポートを頂いた。この場を借りてお礼申し上げる。
 最後に、ロールズが求めているような社会を実現するために私たちにできる第一歩は、選挙で投票に行くことであり、一部の人たちの意向だけによって政策が決定されないようにすることである。このことは強調しておきたい。私には現在二歳になる娘がいるが、彼女が成人になるころには、GDP換算では今より豊かではないとしても、より公正な社会になっていてほしいと切に願っている。

二〇一四年八月   

福間聡



5.『生を治める術としての近代医療』

不特定多数に向けて署名付きで書いたのは、大学時代からの悪友である川又純さんに乗せられて、京都大学新聞(一九八七年一二月一日)で、『フーコー』(G・ドゥルーズ)を書評したのが最初だ。それ以前からも、それ以後もフーコーの著作には刺激を受け続けてきた。そのフーコーの主著の一つ『監獄の誕生』を読み直すというプロジェクトを筆者に任せてくれた編集者の中西豪士さんに深く感謝する。本書の骨格が定まってからもエンジンがかかるまで時間がかかり、中西さんの丁寧ではあるが厳しい催促がなければ完成に至らなかっただろう。
本書は多くの方々の助力で成立したものだ。とくに「社会学と医療」研究会(幹事:黒田浩一郎さん)に参加してくれた方々との討論の他、さまざまな研究会や発表での討論が本書の内容を豊かなものとしてくれている。とりわけ、本書をまとめ上げる上で、もっともお世話になった方を一人挙げるとすれば、市野川容孝さんである。公的な場で接触した記憶はほとんどないのだが、機会があれば、酒を酌み交わしつつ深夜まで、フーコーをどう読むか、その議論を身体・健康・病気とどうつなげていくか、なども含めた色々な話題を雑談/討論した。この場を借りてお礼を申し上げたい。
本書を生み出す胚珠となった会話は、たぶん酒を不味くするような内容ではなかったと思う。
各章の元になった論文の初出は以下の通りだが、そのほとんど全てにおいて大幅な改稿や書き足しをしており、事実上は書き下ろしと見ていただいた方がよい。あらためて見直せば、初出論文の発表媒体は、社会学、哲学、経済学、倫理学と驚くほど多岐にわたっている。いつもながらの領域横断的/ディレッタントな試みが成功していることを願う。

美馬達哉


6.『死者とともに生きる』

本書は思いがけない再会をきっかけにして生まれた。編集者である中西豪士さんとの、である。二〇一二年のことだった。私事に亘って恐縮だが、今をさかのぼること三〇数年前、彼と私は、いわゆるバンド仲間だった。学園祭やライブハウスのステージなどで幾度となく一緒に演奏した。大学を卒業してからは、まったく別の道を歩んだが、音楽に関係する業界で活躍していると風の便りに聞いていた。
その彼が、十数年ぶりにプロの編集者として眼前に現れたのだから、驚いた。それもフリーでいろいろと企画を立ててやっているのだという。ベーシストとしてのイメージばかりを強く抱いていた私には、意外なことだったが、後から思い起こせば、たしかに昔から、音楽にとどまらず文芸や社会に対して広い関心と独特の視線を持った友人ではあった。好きな小説のことなど語り合ったことも、霧のような記憶の中から思い起こされた。
しかも話はそこで終わらず、彼は矢継ぎ早に本書の企画を打診してきた。専門外なので難しいかもしれないと怖気付いていると、聞けば、私がこれまでに方々で発表してきた文章に目を通し、その上で、美術関係のフィールドで執筆を続けてきた私が、ボードリヤールをどんな風に見ているのかに関心があるのだという。
ボードリヤールに限らず、現代思想の入門書と称するものは、すでに世の中にごまんとある。同じことを繰り返しても意味がないと感じていた私は、自分の関心に引きつけて語ることが許されるならと、この提案を真剣に考えてみることにした。

しかし、とは言いながら、そのような外在的な要因だけで本書の執筆を決意したわけではないこともまた事実だ。私には、ボードリヤールについて、どこか未決な感覚がずっと残っていて、その感覚に向き合ってみるいい機会かもしれないという内発的な関心もまた、大きな要因として働いた。 本書中で詳述したので簡単に触れるにとどめるが、私が、ボードリヤールの著作の中から『象徴交換と死』を選択したことは、この内発的関心と関わっている。私には、初めて読んだ時のこの本の印象が強く残っていて、ボードリヤールという、いささか山師的な匂いすらする思想家の魅力が、この本に凝縮されているような気がしていたのだった。彼の思想は、いつも、「シミュラークル」「ハイパー・リアリティ」「ガジェット」などの概念に還元され図式化されるばかりで、この本の中で展開されている「死」及び「死者」をめぐる思索などは、背景に退いてしまっていた。ハイデガーやフロイトとは違った形で「死」の問題を扱おうとした彼の思索の可能性は手つかずのままに放置されているのではないか、そんな疑念がずっと脳裏に残っていたのである。さらに、その死の思索に、ボードリヤール自身が手を染めていた写真表現の問題がどう絡むのか、美術批評の立場からは、そのことも深く気になっていた。
また、現代社会の診断者・予言者としての側面ばかりを見ていると、ボードリヤールは、きわめて直線的な歴史観の持主として済まされかねないが、死の問題の方から近づくと、対照的に、円環的な歴史(時間)感覚にも深い関心と期待を寄せていたことが見えてくる。この二重化された時間の問題も、一般に流布したボードリヤール理解からはやはり抜け落ちてしまっている。その問題に深く関わっているアナグラム概念とともに、その部分にも光を当ててみたいと考えた。
しかし、本書を読んでくださった方はお分かりだと思うが、ボードリヤールの思想の未掘の鉱脈を掘り進めてみようというこの意欲は、単なる紹介とか概説に帰結したわけではない。むしろ、書いているうちに思わぬ方向へと枝分かれしていった。なぜならば、その「掘削作業」を進めていく内に、いくつかの「坑道」が、3・11以降の日本の状況と戦後史の問い直しへとつながって行ったからだ。その結果が、ボードリヤールの思想を彼自身の言葉に添って解釈した1、3章と、それを日本の戦後史の読解へと結びつけた2、4章を交互に展開するという、入門書としては風変わりな構成に結びつくことになった。
はたしてこの試みが成功裡に終わったのかどうか、これは読者諸賢の判断を仰ぐほかない。
私にとって確かなことは、ボードリヤールという思想家と濃密な対話の時間を持てたことで、「読む」という経験の終わりのなさの感覚に、その歓びに、あらためて貫かれたということである。内容の是非はともかくも、この歓びの一片が一人でも多くの読者に届いてくれればと思う。
そして最後に、気恥ずかしくもあるが、やはりあらためて、この貴重な対話の機会を与えてくれた中西さんに、深く感謝したい。数十年ぶりの「共演」で、相変わらず見事なバッキングをしてくれた彼に、多少なりとも返礼ができたことを祈りつつ。

林 道郎


7.『国際養子たちの彷徨うアイデンティティ』

北アメリカ先住民神話のテクストを繙きながらレヴィ=ストロースの神話研究を理解することと、北欧での国際養子家族への短期インタビュー調査の継続が、ここ十年来の私の仕事であった。どちらも私には、簡単には捉えられない「異文化」であった。『野生の思考』のようにと言うと僭越の謗りを免れないが、全く異なるこの二つの道が一つになるのか、それを考えてみたのが本書である。機会を与えていただいた編集者の中西豪士氏にお礼申し上げる。
本書は今回新たに書き下ろしたものだが、以下の旧稿で発表した内容の一部を適宜取り込んでいる。
  ・「トーテミズム論争」『文化人類学文献事典』弘文堂、二〇〇四年
  ・「国際養子縁組におけるアイデンティティの問題:スウェーデンの場合」菅原和孝編『身体資源の共有』(資源人類学9)、弘文堂、二〇〇七年
・「養父母になった国際養子たち:スウェーデン、デンマークの事例から」『国立歴史民俗博物館研究報告』一六九集、二〇一一年
・‘Double or Extra? The Identity of Transnational Adoptees in Sweden’, Culture Unbound 5:425-450, 2013
・「傷つきやすい渡し守としてのワニ:レヴィ=ストロースと稲羽の白ウサギ」『現代思想』41(16)(一二月臨時増刊号)、二〇一三年
・「越境する家族形成としての国際養子縁組:スウェーデンの事例を出発点として」『比較家族史研究』二九、二〇一五年 本書であらたに書き加えたデータは下記の研究助成によって可能になった。本書はその成果の一つでもある。
・科学研究費補助金基盤研究(B)「生物学的関係に拘束されない親子関係についての国際比較研究」(代表出口顯)
複数の国にまたがった調査での取材言語は英語である。取材に快く応じてくださった関係機関や国際養子家族の方々に心からお礼申し上げる。とりわけビルギット、アンデッシュとカリナ一家、モナ一家の方たちには繰り返し訪問させていただき、ひとかたならぬお世話になった。この方たちの生の声を伝えたいという思いから、本書は、国際養子縁組を「政治的正しさ」から批判したり、アイデンティティに悩む養子の姿を強調する欧米の研究とはやや異なるトーンに仕上がった。 調査では、長年行動を共にしてくださった石原理埼玉医科大学教授に深謝したい。取材のあと、ワインやビールのグラスをかたむけながら石原教授と語り合ったことや、同氏の鋭いご指摘が、本書の執筆に大きな刺激となったことに厚く御礼申し上げる。また、韓国での調査に際してインタビューの手配と通訳をしてくださった韓国啓明大学校助教授の中村八重博士にも感謝したい。 本書の草稿を完成させたあとで、生みの母や生物学的親族に出生国で対面した三人の国際養子の方たちに、取材する機会があった。彼らのアイデンティティや生みの母・養父母との関係について、別の機会に論じることにしたい。
最後に私事になるが、本書執筆中の本年三月に母が他界した。序章で述べた、司馬遼太郎氏に著書を読んでいただくことができたのも、母の友人の方が司馬氏の親しい隣人であったというご縁による。オホクニヌシノミコトやスサノヲの神話などを子どもの頃おとぎ話がわりに語ってくれたことを始め、かぞえきれない「惜しみなき与え」に感謝して、本書を亡き母に捧げたい。

二〇一五年九月 亡父の誕生月に

出口 顯


8.『投機は経済を安定させるのか?』

本書の初校の校正が終わりに差し掛かった二〇一六年六月二三日(日本時間二四日)、イギリスのEU離脱の是非を問う国民投票で、離脱派が勝利するというニュースが飛び込んできた。直前まで残留派が勝つという見方が大勢を占めており、出口調査でも同様の結果が出ていただけに、離脱派の勝利は世界に大きな衝撃を与えた。残留派の勝利を織り込んでいた金融市場も大混乱となり、ポンド/円の為替レートは一日で約二七円も動き、日経平均株価は一二〇〇円を超える記録的な下落となった。この歴史的なイベントを前に、巨額の投機マネーが動いていたであろうことは想像に難くない。金融市場のみならず、この先の世界情勢には大きな不確実性が影を落とすことになるだろう。
現代社会に生きるすべての人々は、好むと好まざるとにかかわらず、何らかのかたちで投機の問題と関わらざるを得ない。イギリスの例は、一国の進むべき道を決める政治判断の場が、マネーゲームの舞台と化すことによって、混乱が増幅されている状況を表している。また、経済的混乱に対して各国の金融当局がどのような対応をとるかということ自体も、賭けの対象となっている。マネーの動きは本来的な意味での「金融」の領分を大きく逸脱しているように思われる。これはケインズが危惧した事態である。
問題は複雑で困難である。ケインズを読めば、ただちにこの問題を綺麗に解決する答えが出てくる、というようなことはない。しかし、なぜ投機をめぐる問題の根が深いのかについて、示唆を得ることはできる。そこにこそ、先人の叡智に学ぶ意義がある。
本書は、主に二〇一四年にいくつかの研究会、学会で報告した内容がベースとなっている。恩師の根井雅弘先生(京都大学教授)が主催された社会人向けの研究会、ケインズ学会全国大会、青山学院大学の藤井賢治教授が主催された科研費の研究会等で、多くの方々から有益な示唆をいただいた。学会や研究会でコメントをくださった方々に謝意を表したい。もちろん、残されている誤りはすべて著者の責任である。
ケインズ研究の一環であるとはいえ、投機をテーマとする本を書くにあたっては、ためらいもあった。この議論をするためには非常に多岐にわたる領域をカバーしなければならず、一人の人間の能力の及ぶところではないからである。私はあくまで一介の研究者にすぎず、金融の領域における実務経験がないため、実務家の目線からすれば至らぬところが多々あるであろうことは承知している。ご批判を仰げれば幸いである。
本書の執筆作業は、いつになく難航した。構想は比較的早期に頭の中でまとまっていたものの、公務で多忙をきわめ、なかなか執筆時間が取れない状況が続いた。なんとかケインズ『一般理論』刊行八〇周年にあたる節目の二〇一六年中に刊行できたのは、編集の中西豪士氏の辛抱強い励ましによるところが大きい。お礼を申し上げたい。
最後に、私事にわたり恐縮であるが、研究、執筆作業を静かに支えてくれた妻さやか、そして両親に感謝したい。

二〇一六年六月 

伊藤宣広



9.『震災後の日本で戦争を引きうける』

わたしはふだん文芸評論と呼ばれる種類の文章を書いているが、では文芸評論とはなにかと言われると返答に窮する。
文学者や文学作品について論じているという意味では文学研究に似ているが、しかし存命の作家や新しい小説について語るためには、それはしばしば学術的な体裁をもつことができない。しかも小林秀雄が文芸評論というジャンルを成立させてから、別に文学者や文学作品について論じていなくても文芸評論は存在しうる。なぜなら小林秀雄自身が、美術や音楽についても文芸評論を書いたからである。
そういう意味で言えば、吉本隆明は哲学や思想について文芸評論を書いたと言えそうである。だからその文芸評論は、思想書として読みうる。小林秀雄が文芸評論を美術や音楽について語れるものにしたとしたら、吉本隆明は文芸評論を哲学や思想について語れるものにした。文芸評論家の文章がそのまま思想書でもあるという事態は、そこから生まれる。
吉本隆明の『共同幻想論』を思想史上の名著として読み直すという企画は、その点で非常に素晴らしいと思った。
学術的な体裁をもった文章を書くのが不得手でありながら本書を引きうけたのは、文芸評論が思想書でありうるという事態について文芸評論が書けるかもしれないと感じたからだが、編集者の中西豪士氏にはその不得手な部分で多大なご苦労とご迷惑をおかけしたに違いない。氏の的確な助言と助力がなければ、こうして無事に一冊にまとまることはなかった。そのことを記して謝意を示したい。
吉本隆明の『共同幻想論』は、思想書として時代のなかで大きな影響をおよぼしたが、その影響力は時代を超えていくものだと思う。これまであまり吉本隆明の著作に親しんでいなかった読者にも、震災後の日本でうまくそのことが伝わることを願う。

二〇一七年一月 

田中和生


10.『寄る辺なき自我の時代』

フロイトが『精神分析入門講義』を書いてから、今年でちょうど一〇〇年になる。前世紀は「戦争の世紀」と呼ばれ、二つの大きな戦争があり、そのなかでマルクス主義の共産主義国家が誕生し、時期を同じくして精神分析が生み出された。本書をここまで読んでいただいた人にはすでに伝わっているだろうが、第一次世界大戦と第二次世界大戦のなかでしか、精神分析は生まれなかったと思う。精神分析の主張は一時期、カウンセリングや心理臨床や精神医学と同化することで臨床の道具に狭窄化してしまったが、にもかかわらず今でも群衆や大衆社会を、あるいは社会体制や制度を個々の心のあり方から見るときの物差しとして、その力を持ち続けている。原初の心性がなぜ繰り返し歴史のなかで中心的な役割を果すのかについて、今のところ他の類する理論はない。
産業革命の清算の結果が大戦争とするなら、今世紀は情報革命の清算のための準備をする時期に入っている。二〇四〇年代と言われているシンギュラリティ(人工知能が人間の精神活動のほとんどを代替可能にするような映画『マトリックス』や『ターミネーター』の世界)の時代にインターネットや情報空間のなかで人々がどのような主観的世界を持つのかを考えるには、フロイトが晩年描いた自我の分割モデルあるいはナルシシズムのモデルは、性や生殖、あるいは家族を再編成するバイオ・セクシャル・エコノポリティックス(生物としての身体と性と経済、そして社会の関係性領域)を考えるための重要な道具になるだろう。本書はその糸口として『精神分析入門講義』に焦点を当てた。新しい主体や主観性のモデルを考えるためにフロイトが着想した「自我心理学」にもう一度戻って考える必要があると私は考えている。
本書を作るにあたって最初から最後まで編集者である中西豪士さんにお手伝いをいただいた。粘り強く丁寧な中西さんの援助がなければ、私の国語力では本書は成立っていない。分析の実践をしながらの執筆なので、遅筆で迷惑ばかりかけたが、良い本ができたと思う。心から中西さんに感謝したい。

二〇一七年四月 

妙木浩之



11.『「新しい働き方」の経済学』

『国富論』研究は、日本の経済学史研究において、もっとも蓄積の豊かな、また高度な内容を持つものである。その研究史は、そのまま日本の社会科学の歴史を物語るものであり、それでいて、今現在においても、若い研究者が後を絶たない、稀有な研究領域をなしている。これは、マルクス『資本論』、ケインズ『一般理論』においてすら、なかなか見かけられなくなった光景である。本書の、『国富論』に対する理解も、そうした膨大な研究史に支えられたものである。
本書に、何か新しい試みと言えるものがあるとしたら、それは『国富論』を、資本蓄積論というメインストーリーのなかで読むことを敢えてせず、『国富論』のなかに、現代の「働き方」、現代の「企業」のあり方を相対視する視座を探るという、特定の問題意識の下で読んでみたという一事に尽きる。その意味で、本書はけっして、正統な学史研究書ではない。この問題意識に、何ほどかかたちらしきものを与えることができたかどうか。それは、読者諸氏の判断に仰ぐしかない。
筆者は、古典とは「古典」というその地位において、評価されるべきものではないと思う。古典は、歴史のなかに定位置を得るべきものではなく、あくまで現代に身を置いて、そのなかで「古典」としての役割を担うべき存在だと考えている。今現在への問題意識を持たずに古典を読むこと、今現在のことを忘れることが客観的な研究の条件だとするような理解は、古典を尊重しているようで、じつは古典の生命をもっとも危機に晒すものだと思う。
また、「現在」という時代も、同じ現在の尺度だけで判断しようとすると、どうしても、肯定的な方向へ流されるきらいがあると思う。人は、自分が育ってきた時代、今生きている時代を、わるい時代とは思いたくない。じっさい、どんな時代でも、よく見ればかならずいいところがあるものである。しかし、それだけでは、何か大事なことを見逃してしまう。どの時代にも属さないが故に非現実的に見える理論を、あるいは、現在とは違う時代に書かれたが故に違和感を与える古典を、敢えて自分の時代に置いたときに見えてくる風景は、かりにそれが酷いものであったとしても、無視してはいけない、現在の客観的な風景なのだと思う。
そうした問題意識から、本書は、古典としての『国富論』と現代の「社会的企業」を、敢えて関連づけて読むという試みを行った。いささか無謀な試みであることは承知しているが、筆者は、社会的企業を、その社会的な役割や意義という側面以上に、これからの時代の新しい「働き方」として、あるいは新しい社会参加の仕方として捉える必要を以前から感じており、それがふと、『国富論』が一八世紀の時代に向けて発したメッセージと似ていると思えたために、議論の半分以上をまだ直観に頼らざるを得ない段階にあることを自覚したうえで、敢えて一文を草してみた。
社会的企業という存在を遅まきながら知ったのは、リーマンショック直後の、経済の現実と言説がともに大きく動揺していたときだった。戦後最長の経済成長と言われていたものが、いざひっくり返されてみると、そこには年越し派遣村に象徴されるような、格差と貧困の現実が隠されていたのだった。これが日本なのかと、世の言説もいささか混乱を見せるなかで、何かの拍子に「社会的企業」という言葉を耳にしたのだったが、なぜかその瞬間、これは一過性のものでは終わらないという強い直観を持ち、以後、細々とながら、自分なりに本や論文を読みながら、社会的企業について考えてきた。社会的企業は、経営学やNPOの研究者による論考は多いものの、なぜか経済学の立場から論じたものを見かけることが少なく、しかし、これは何より、市場経済の意味を変えるかもしれないほど、重大な意味を持つものなのだから、いずれ機会があったら、自分なりの意見を述べてみたいと考えていた。今回、こうした機会をいただいたことは、筆者にとって望外の喜びであった。
本書で取り上げた二つの社会的企業は、すでにその実績が広く認識されていることから選んだものだが、筆者自身も、大学のゼミ生と一緒に訪問させていただいたことがあり、そのときの経験が忘れがたいものであったことから、取り上げさせていただくことにした。
もとより、事前にご相談もお断りもせずに執筆したものなので、記述内容に関わる責任はすべて、筆者一人に帰するものであることを、ここで改めてお断りしておきたい。
本書の執筆は、フリーの編集者である、中西豪士氏からのお声がけによるものである。筆者は、一九世紀末以降の経済理論と経済哲学を専門にしているので、「『国富論』を使って、日本の新しい働き方について、一冊本を書いてほしい」と言われたときには、正直、とまどいを感じたのだが、中西氏の強い意欲と明確な問題意識を伺っているうち、ムラムラと自分でもその気になってしまったのだから、われながら驚く。それでも、その後は悪戦苦闘、七転八倒の連続であって、中西氏の励ましとしなやかな対応がなかったら、この一冊、とうてい書き上げられなかったことと思う。改めて感謝申し上げたいと思う。
本書の第4章の内容は、野沢敏治主催「内田義彦を読む会」での口頭報告に一部基づいている。また、本書の執筆には、科学研究費「基礎研究B:利己心の系譜学」から一部助成を受けている。それぞれ記して感謝申し上げる。
さらに、社会的企業をめぐる論考については、筆者のゼミナールに参加している学生諸君との議論が、ほとんどその母体をなしていると言ってよい。社会的企業をゼミのテーマに含めたのは二〇〇九年度が最初だが、以後年々のゼミ生との討論がなかったら、専門外の領域において一文を草する勇気など、とうてい出てこなかったと思う。ここに一人ひとり名前をあげることはできないが、本書は誰よりもまず、歴代のゼミ生諸君に捧げたいと思う。
本書の考察は、以上である。今回の論考を元に、これからも、古典と現代の往復運動を繰り返しながら、新しい時代の市場経済のあり方について、考えていきたいと思う。

二〇一七年九月 

井上義朗


12.『「もう一つの日本」を求めて』

「いま読む! 名著」シリーズの名うての編集者である中西豪士さんが、私の勤務先・白百合女子大学を訪ねてきてくれたのは、昨年の夏であった。初対面の場で、中西さんはこう言うのである。

お前は戦後日本を蝕む「虚無」を三島由紀夫は誰よりも早く見抜いていたと言うが、そういう三島論を書くことによって、今を生き、これから生まれてくる日本人に、いったい何を伝えたいのか。お前は三島由紀夫の創作ノートの分析を通じて、実際に発表されたものとは異なる内容の「もう一つの『豊饒の海』」を仮構したそうだが、それよりも、現実の日本とは異なる、あるべき日本の姿を、「もう一つの日本」として示すべきではないか。

急いで言い添えねばならないが、中西さんは物腰柔らかな紳士で、実際に右のように語ったわけではない。しかし、穏和な言葉遣いの向こう側から、何か「巨大な存在」がこちらを睨みつけ、厳しく叱咤するように、私には思われたのだった。
それから半年準備を重ね、年明けから本書を書き始めた。
執筆にあたって『豊饒の海』を何度も読み直したのはもちろんだが、世界の思想、文学の広い地平において議論を展開するために、必要と思えばいつでも視野を拡大し、これまでの三島研究において真剣に考えることが先送りされてきた領域にも、あえて踏み込んでいった。「巨大な存在」の求めにきちんと応えているかどうか、本書が何事かを成しえているか否かは、今を生き、これから生まれてくる読者の皆さまのご判断に委ねるほかない。
今この文章を書いているのは二〇一七年一一月一〇日である。振り返ると、二〇一一年、雑誌「解釈と鑑賞」で「三島由紀夫というプリズム」という特集を組んだときは、印刷が終わりこれから配本というときに東日本大震災が起こった。二〇一五年の「国際三島由紀夫シンポジウム二〇一五」では開始直前にパリ同時多発テロが起こり、シンポジウム三日目に講演予定だったパリからの参加者がキャンセルを余儀なくされた。本書刊行時に何が起きるか、何も起こらないのかわからないが、どのような状況にあっても読む者に訴えかけてくる力が『豊饒の海』には備わっている。
そのことを一人でも多くの人に伝えることができたら、著者としてこれ以上の喜びはない。
なお本書には科研費基盤研究C「戦後派作家の長篇小説に関する総合的研究」の成果が生かされている。

二〇一七年一一月 

井上隆史



13.『〈期待という病〉はいかにして不幸を招くのか』

古典と呼ばれる著作に、「正しい読み方」などというものがあるのかどうか、疑問に思う。もっとも、ある程度の範囲のなかにとどまることが文献学的にみて適切であるとか、その範囲から外れた読み方が不適切であるとか、そういうことは判断できると考える。思想史研究の専門家のあいだでは、読み方が適切か不適切かを厳格に区別すること、区別の根拠をしっかりと示すことに、一定の意味があることはいうまでもあるまい。しかしまた、いわゆる専門家ではない、多くの読者たちによって、数百年、場合によっては数千年にわたって古典作品が読みつがれてきたことには、それとは別の理由があるのだろう。仮に、それが作者が望まないことだとしても、読者は自分が読みたいと思ったことだけを読みとり、受け入れたいと思ったことだけを受けとめる。自分が日々目にしている現実的な課題について、的確に表現する言葉を与えてくれたり、よりはっきりとした輪郭を与えてくれるような作品であれば、時間と空間を飛び越えて、切実な現実味、そういってよければ、力強い生命をもって読者に迫ってくるにちがいない。そのような体験を許してくれる作品こそが、長い期間にわたって読みつがれてきたのではないだろうか。筆者もまた、そのような意味での生命が宿った作品として、ルソーの著作を読んできた。
「いま読む!名著」シリーズの編集を担当する中西豪士氏から、このシリーズでルソーの作品をとりあげたい、というご相談を受けたとき、まさに渡りに舟だと感じた。ルソーを現代の視点からじっくり読み直すという課題は、これまで、必ずしも正面からとりくむ機会を得なかったとはいえ、常に筆者の頭の片隅にあったからである。といっても、やり方はいろいろあったにちがいない。とりあげる作品を選ぶのも、なかなか悩ましい。格差が広がっているとされる現代社会を省みれば、『人間不平等起源論』を現代の論者と重ね読みしてみるのもよいかもしれない。『社会契約論』をとりあげて、政治権力の正当性について考え直してみることも有意義だろう。ほぼ二時間に及んだ中西氏との話し合いのなかで、『エミール』をとりあげて現代社会の病=悪の問題について考えてみるのが、いちばん魅力的だろうという結論にいきついた。このとき、本書の基本構想がおぼろげにつくられ、『期待という病』という仮のタイトルが決まった。その後、版元の希望によって現在の形となった。本書の草稿段階から様々な助言を与えられ、煩瑣な編集業務を誠実に担ってくださった中西氏に対して、この場を借りて心からの謝意を表明したい。
これまで、ルソーの著作を文献学的に読み解いてきた一研究者として、本書を執筆するにあたっても、『エミール』をはじめルソーの作品の読解として、「妥当な範囲」を大きく逸脱することがないように、心がけた。また、『エミール』を読み解くために必要な情報を提示し、『エミール』が書かれた一八世紀当時の時代背景をあぶりだすように描くようつとめた。さらに、『エミール』を道具として利用してみると、私たちの生活や社会がどのように見えるのか、できるだけ具体的に描くことに心をくだいた。こうしたことは、「いま読む!名著」シリーズの一冊として当然のことであったろう。それに加えて、生きることと思考することが、分かちがたく結びついていることを力強い言葉で訴えつづけたルソーをとりあげるにあたって、特別な意味があるにちがいない、と筆者は考える。さらに、筆者自身にとっても、これまで従事してきた、ほとんど愚直としかいいようのない文献学的研究が、どのような意味を持ちうるのかを、あらためて問い直すためのきっかけとして、まことに貴重であった。
本書には、これまでに筆者がさまざまな形で公刊してきた書籍、雑誌等掲載論文の一部(参考文献一覧を参照)が素材として活用されていることを、お断りしておきたい。本書のなかにとりこみ、生かすにあたっては、ほとんど原型をとどめないほど全面的に手を加えて、全体として文体や論旨に一貫性が保たれるよう、最大限の努力をしたつもりである。
また、本書を執筆するさいに、手がかりとして、学生たちとの「対話」から得たことも少なくなかった。勤務先の大学では、ほぼ毎年、『エミール』について講じる選択科目を開講している。ときに、まったく予想もしなかった学生たちの素朴な驚きや疑問から、それまで気にもとめなかった問題の大きさに気づかされることもあった。現代を生きる若者たちの心に、『エミール』のなかのどのような言葉が響くのか。若者たちは、ルソーが問題にしたことをどのような言葉で表現しながら、日々を生きているのか。二五〇年以上も前に書かれた書物を、世代の異なる若者たちを前に読み解く授業は、筆者に緊張と興奮をもたらしてくれている。真摯な態度で授業にのぞんでくれた学生たちに、あらためて感謝の気持ちを表したい。
もっとも、このような想いを綴ってみたところで、じっさいに本書から読者諸氏がなにを読みとって下さるかは、まったく予想がつかない。もし、本書を通じて『エミール』と出会い、自ら『エミール』を読んでみようと、そして『エミール』を読みながら自らが抱える課題と向き合ってみようと考えて下さる読者がおられるなら、筆者にとって、それにまさる喜びはない。
なお、本書の執筆とほぼ時を同じくして、名古屋大学附属図書館に所蔵されている『エミール』の鑑定を依頼され、その準備作業として、『エミール』の正規初版本を他の版本から区別する目印となることがらについて、これまでにわかっていることを整理してまとめる機会を得た。その結果、同図書館所蔵本は、パリ版一二折本とアムステルダム版の正規初版本にまちがいない、と判断された。この作業を通じて、これまで日本における多くの『エミール』の翻訳や解説本が、パリ版のタイトル・ページに記された偽りの情報に惑わされて、これをネオームが作成した版本として紹介してきたことがわかった。根拠を確かめてみることもないまま、活字になっている情報がいかにたやすく信じられてしまうものなのか、あらためて思い知らされた。本書では、事情をていねいに説明するとともに、二種類の名古屋大学書蔵本のタイトル・ページの写真を掲載した。写真掲載を許可してくださった同図書館の関係者各位に、謝意を表明いたしたい。
最後に、本書を目にすることができたなら、きっと誰よりも喜んでくれたにちがいない、亡き父の思い出に本書を捧げることをお許し願いたい。とりとめもない哲学談議を肴にしながら父と飲んだ酒の味を、忘れることはないだろう。

二〇一八年三月

坂倉裕治



14.『「富」なき時代の資本主義』

思えば二〇年以上『資本論』を読み続けてきたことになる。最初に『資本論』を読んだのは、留年して二度目の大学二年生をしていたときだったと思う。構内に貼られていたチラシに誘われ、古本屋で手に入れた全集版(五冊で五〇〇円だったと記憶している)を片手に、『資本論』の読書会に参加した。メンバーは、指南役の民青系の大学院生(後から考えればオルグ活動の一環だったのだろう)を除けば、自分を含めて二人しかいなかった。
私が大学に入学する前年の一九八九年、ベルリンの壁が崩れ、その後、ソ連をはじめとする社会主義諸国が雪崩を打って崩壊した。社会主義圏の解体を資本主義の勝利として言祝ぐフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』が世界的なベストセラーとなり、日本では、バブルが終わっていたものの、その後二〇年以上に及ぶ長期不況に突入することになるとはまだ想像もされていない、そんな時代である。当時は、マルクスなど見向きもされず、セクトの学生でもなければ、『資本論』を手に取ること自体、かなり風変わりなことだった。そうした環境のなかで、私を『資本論』に向かわせたのは、資本主義が「歴史の終わり」であるはずがないという確信であった。その確信は今も変わらない。
一九九〇年代初めから四半世紀経った今日、世界の有様は大きく変わった。冷戦終結後のアメリカの政治的・経済的繁栄は、九・一一、さらには、「リーマン・ショック」に端を発する「大不況」によって、幕を閉じた。かつての東側諸国を飲み込みながら発展の一途を辿ってきたEUは、いまや公的債務問題と移民問題を巡って分裂の危機に陥っている。日本はバブル崩壊後の不況から脱することができず、今に至るまでの景気の低迷は「失われた二〇年」とも「失われた三〇年」とも呼ばれている。こうした現代の閉塞状況を受けて、さらには、『資本論』出版一五〇年、マルクス生誕二〇〇年という節目を迎えたこともあって、ここ最近、マルクスや『資本論』に関する書籍が相次いで出版されている。
『資本論』に対する関心が高まっていること自体は歓迎すべきことであるし、本書もそうした関心に応えるものであることを願う。しかし、他方で懸念もある。混迷した状況のなかで、安易に『資本論』のなかに答えを求めてしまうことへの懸念である。『資本論』は無謬ではないし、未来のすべてを見通した予言の書でもない。『資本論』には理論的な誤りもあったし、ヨーロッパで早晩革命が起きるというマルクスの読みも外れた。二〇〇年以上前に書かれた本のなかに、現代のあらゆる問題に対する解答が書かれているなどということはありえない。本当のマルクスや『資本論』の真意をもちだし、そうした主張をする入門書・概説書に出会ったら眉に唾をした方がよい。たとえそれが文献学的考証を根拠にしていてもである。
『資本論』から読み取るべきは最終的な答えではなく、開かれたままに残された膨大な問いである。その問いを受け止め、答えを紡いでいくのは私たち読者の仕事である。本書で示したのも私自身のそうした試みの一端である。

私が本書を書くことになったのは、編集者の中西豪士さんから『資本論』に関する一般向けの書物を書いてみないかという提案を受けたことがきっかけである。私にとっては二冊目の単著であるが、全編を書き下ろすというのははじめての経験であり、不安もあった。中西さんには、遅れがちな執筆を粘り強くサポートしていただいたばかりか、内容についても的確なアドヴァイスをたくさんいただいた。中西さんの存在なしには、本書の完成は覚束なかっただろう。
本書は基本的に書き下ろしであるが、執筆の過程でその一部を次の論文として発表している。

「資本と国家の弁証法—金融化に関する試論」、『現代思想』第四五巻第一一号、二〇一七年

この論文は本書第一章の一部を加筆修正したものである。

一人ひとりお名前を挙げることは差し控えるが、本書は、東北大学の学部時代、東京大学の大学院時代に出会った方々に多大な学恩を負っている。
経済史家の長原豊さんからはその該博な知識と大胆な立論によっていつも刺激をもらっている。長原さんとの出会いがなければ、私は疾うの昔にマルクス経済学の研究をやめていただろう。フランス現代思想の専門家である松本潤一郎さんは草稿の一部に目を通し、有益なコメントをしてくださった。本書の終章が当初予定していたものよりも踏み込んだ内容になっているのは松本さんの助言のおかげである。ケンブリッジ大学のトニー・ローソンさんには私の在外研究のスポンサーを引き受けていただいた。ケンブリッジでの研究成果と当地で目の当たりにしたイギリスの現実から本書は多くの着想を得ている。市田良彦さんには、科研費プロジェクト「「現代思想」と政治—マルクス主義・精神分析・政治哲学を軸とする歴史的・理論的研究」の末席に加えていただいた。プロジェクト研究会でさまざまな分野の研究者と議論できたことは私にとって得難い経験であった。
最後に、私事であるが、本書の完成は私の妻、沖美穂と息子、沖真之の理解と協力なしには不可能であった。愛犬のロビンは執筆の過程で煮詰まった頭を解きほぐしてくれた。また、幼くして亡くなった息子沖理太郎の生涯はつねに私の研究の指針をなしている。

二〇一八年一二月

沖公祐



15.『〈顔の世紀〉の果てに』

〈顔〉について書きたいと最初に思い立ったときから、もうずいぶん長い時間が経っている。最初に『白痴』論を書いたのは一九九七年だから、もう二〇年以上も前のこと。その後もなにかにつけて〈顔〉を主題とするものを書いてきたし、授業でも何度も取り上げてきた。いいかげんうんざりしてしまっても不思議ではないし、実際、本書にもこれまで書いてきたことの断片が随所に取り入れられている。「私の顔は私には見えず、他者という鏡を必要とする」というフレーズも、いったい何回繰り返したことか。
だが、何度書いてみても、何度しゃべってみても、〈顔〉というこの主題については分かったという気になれず、うまくいったという気にもなれないのはどうしてだろう? 授業を終え、あるいは書きあげた原稿を送信してパソコンを閉じる、そのたびごとに、一抹の後悔というか、自分に対する不満というか、そんな気持ちに駆られるのはなぜなのか?
ある意味では、答えはもう分かっている。「顔は表象されることに抵抗する」から、あるいは「顔は指さすことしかできない」からだ。終わり近く、第6章の末尾で「顔は、内容となることを拒絶することでなお現前している」というレヴィナスのよく知られた言葉を引用したのもそのためだし、本書の結論もそこから外れてはいない。〈顔〉について書く試みがいつも失敗するのは、〈顔〉がその本性からして言説の主題にはなりえないものであるためにほかならない。だが……こと〈顔〉に関していえば、こういった耳障りのよい断定が、どことなく空虚に響くのはなぜなのか。
「そんなことはもう分かっている」と思うのだ。そんなことは分かっている。〈顔〉は表象されないし、他者は超越そのものであって、私の言説に包摂されてしまうことはない。そんなことは分かっているのだが、でもなお、この顔について、あるいはあの顔について、なにかを語りたい、書きたいという渇望は癒すことができない。それについていうべき言葉が見つからないときでさえも、あるいは、いうべき言葉が見つからないときこそ、〈顔〉は私たちから〈言葉〉を要求する。うまくいかないことは分かりきっているのだから、適当なところで切り上げてスマートに終えるのがいいに決まっているのだが、最後までそれにつきあい、いうべき言葉を探し、限界まで語りきらなければならない、そんな思いにとらわれるのである—能力不足も、勉強不足も、時間不足も棚に上げて。
ずっと欲求不満を抱えてきたこの主題について、雑誌特集号の記事でもなく、学術論文集の一章でもなく、一冊の書物を主題にした一冊の書物というかたちで書く機会を与えられたことは、だからとてもありがたいことだった。「最初から最後まで顔」というのが重要だったのである。だが、やはり、最初から最後まで顔について書くのはとても苦しい経験だった。書き上げてみて、学術論文っぽいところもあれば、ほとんどうわごとめいたところもある。いかにもドストエフスキー論といったところもあれば、生硬な理論をふりかざしてドストエフスキーから離れていくようにみえるところもあるかもしれない。少なくとも『白痴』論としては、これまでに類を見ないユニークなものになったような気がするが、下手な憶測はやめておこう。なにせ「私の顔は私には見えず、他者という鏡を必要とする」のだから、この本が実際どんな顔を読者にみせているのか、著者には分からないのである。
本書は書下ろしだが、第4章のホルバインに関する部分には以下の論考の一部が使われている。

番場俊[二〇一三]「他者の苦しむ顔を見る—ドストエフスキー、ホルバイン、写真」、栗原隆・編、『感情と表象の生まれるところ』、ナカニシヤ出版

同じく第4章のラファエッロに関する部分は、かつての同僚で、いまは立命館大学にいる二人、北野圭介氏と北村順生氏に呼んでいただいた第2回動態論的メディア研究会で発表した(二〇一六年九月一八日、河原町三条・MEDIA SHOP)。北野氏の無茶振りにつきあうのはときにしんどいこともあるが、結局はいつも自分にとってプラスになっているように思う。〈顔〉について書いてみたいなどという野望を抱くきっかけとなったのは日本女子大学の遠藤知巳氏との出会いだが、大著『情念・感情・顔』(以文社)の重みをいまだに受けとめえずにいるいま、どのような感謝の言葉を述べてよいものか迷う。本書はまたJSPS科研費の補助を受けた研究成果の一部であって(課題番号一六K〇二五六四および一七H〇二三二九)、後者ではとりわけ名古屋外国語大学の亀山郁夫先生、中央学院大学の望月哲男先生のお世話になった。
編集の中西豪士氏にはたいへんなご迷惑をおかけした。過去のメールを検索してみると、最初の連絡をいただいたのは二〇一六年四月七日。それから三年、仕事の遅れに対する言い訳ばかりで、さぞかし不愉快な思いをされたことと思う。だが(私事にわたって恐縮だが)、まさしくこのタイミングでこの仕事の話をいただいことがどれほど励みになったか、その事情は話していなかった。いま、無事このあとがきを書くことができる喜びをかみしめている。この小著は妻の純子に捧げたい。
 
二〇一九年二月二四日 新潟にて

番場俊



16.『どうすれば戦争はなくなるのか』

「いま読む! 名著」シリーズにカントの『永遠平和のために』の巻を書かないか、とお誘いを受けたのは、二〇一六年の夏だった。早くも三年近くが経とうとしている。有難く意義深いお誘いだと思い、二つ返事でお引き受けしたものの、筆者の多忙もあり、書き上げるのに思わぬ時間がかかってしまった。
その間にも世界の情勢は少なからず変わり、本書の出版が時機を逸するのではないか、と危ぶんだこともある。日本国内では、安倍晋三政権が長期化し、憲法改定が現実的なものになった。『永遠平和のために』の意義は憲法改定に左右されるわけではないが、憲法改定後に本書が世に出るのはなんとも空しい。
海外に視線を向けると、アメリカ合州国では、トランプ政権が変わらぬ支持を集め、再選の可能性すらささやかれる勢いである。国連を軽視し、自国中心主義を称揚し、法も道徳も気にせず、政治と取引との区別もつかない大統領は、「アメリカを偉大にする」どころか貶めているとしか思われないが、合州国を世界市民主義とは反対の方向に引きずっていく。
また、ヨーロッパでは、英国がヨーロッパ連合(EU)離脱の方針を決め、諸国家連合のモデルとしては国連より成功しているヨーロッパ連合も揺らぎ軋んでいる。また、これまで世界市民の権利を尊重し、難民の受け入れに積極的だったヨーロッパ諸国でも、外国人に対して排他的な政党が一定の支持を集めている。世界市民の夢を見ている、と合州国の現実主義者に揶揄されていたヨーロッパですら、世界市民主義は後退していくように見える。
しかし、そんなことでは世界市民の希望は消えたりしない。
二〇一九年四月、筆者が研究滞在のため訪れたドイツのベルリンは、政治の季節だった。五月二十六日のヨーロッパ議会選挙に向けて、各党が通りに掲げるプラカードのほとんどは、ヨーロッパの結束を第一の課題としていた。ふたを開けてみると、キリスト教民主党が最多議席を獲得、ドイツ社会党が大きく後退したのだが、その中で緑の党が目覚ましく議席数を伸ばしたのが印象的だった。しかも、緑の党は三十歳以下の若者たちの間では三十パーセントの得票率を誇ったという。
緑の党はもともと環境保護の市民運動から出てきた政党だが、今回はヨーロッパの結束と難民支援をもスローガンに入れていた。ある哲学専攻の大学院学生によれば、他に注目すべき環境政策を掲げた党がなかったので躍進しただけ、とのことだが、しかしそれにしても、環境問題という地球規模の問題に取り組むべきだという判断を、多くのドイツ人がしたことは間違いない。スウェーデンの若者の行動から始まった気候変動対策の強化を訴える運動「フライデー・フォー・フューチャー」もヨーロッパ中で目覚ましい広がりを見せている。
また、ベルリンに滞在中のある若い英国人哲学研究者は、英国のヨーロッパ連合離脱を「危機」としか見ない風潮に対して苦言を呈していた。英国の離脱問題のおかげで、政治を真剣に考え政治参加しようという意識が、英国市民の間でこれまでになく高まっている、これは民主主義にとってはむしろ好ましいことだ、と。なるほど、それを言うなら、英国の離脱騒ぎは、同じような意識をヨーロッパの他の国々の市民の間でも高めていることになる。
ヨーロッパ議会の選挙の前、四月の終わりごろだったか、お世話になっている大学の実践哲学コロキウム(ゼミナール)の夕食会でのこと。緑の党でボランティアをしている大学院学生と難民支援のN GOでボランティアをしている大学院学生が熱心に語りあっていた。既存の政党のために働くことがいいことかどうか論じあっていたのだ。緑の党と言えば、筆者が大学生のころは草の根運動を象徴する市民団体で、政党になってからも既存のそれとは一線を画す存在だった。その緑の党も今や既存の政党の一つになったのだ。既存の政党に対する不信感が若者の間で強まっているようだ。「フライデー・フォー・フューチャー」の盛り上がりも、そういう若者たちの心情が背景にあるかもしれない。 これらの現象も人類の学びの過程の一つではないだろうか。政治社会とそれから一定の距離をとる市民社会とが、競い合ったり補い合ったりしながら、現代世界のさまざまな重要課題をめぐって議論し、思考し、行動する。それは、世界市民的意味での哲学の一つの現場である。そして、同じような光景はつい最近日本でも見られた。原子力発電所再稼働や安保法案をめぐって、既存の政党も行動を起こしたが、それから距離をとる若者たち(だけではないが)の新しいスタイルの行動も印象的だった。それもまた、世界市民的意味での哲学の一つの現場である。楽観はできないが悲観する必要もない。希望はある。
最後になったが、本書の企画を提案し、筆の進まない筆者を励まし、ときに厳しい批評をして、最後まで筆者のよき伴走者になってくださった、「いま読む! 名著」シリーズの編集者、中西豪士さんに感謝申し上げる。中西さんがいなかったら、本書が世に出ることはなかっただろう。
そして、私事になって恐縮だが、すでにこの世を去った父、寺田永六に本書を捧げたい。

二〇一九年夏至の日 ベルリンにて

寺田俊郎


17.『スマートフォンは誰を豊かにしたのか』

本書執筆のお話をいただいたのは二〇一六年の暮れ頃であっただろうか。初めての書籍執筆であり、こうしたことに関して何の知識も持っていなかった私は、話を受けるべきか否かをかなり悩んだ。二〇世紀において最も著名な経済学者に数えられるシュンペーターの書籍を自分が書くなど、大それたことである。しかし今にして思えば、アイデアが形になるというということは、非常に幸運なことであった。
シュンペーターは研究対象とする領域を単なる経済理論に限定せず、複眼的で広い視野を持った経済学者である。彼の研究構想は、しばしば「総合的社会科学」と表現される。シュンペーターが研究を開始した当初、彼はワルラス流の数理的に精緻化された純粋経済理論を志向していた。しかし経済理論に「動態」的な時間の概念を取り込むという作業の過程において、経済理論の与件に影響を与えうる様々な外生的(社会的・文化的・技術的)要因に関する知識をも取り込んだ。結果として、彼の体系がカバーする領域は広範にわたり、後世の研究者が彼の理論や思想の全体を追うことは困難を極めることとなる。にもかかわらず、彼の体系には一貫して「経済発展」や「資本主義の本質」に関する明確なビジョンが存在する。彼の著作を一通り見渡してみると、様々な要素が絡み合っているにもかかわらず、論理的に一貫性・整合性の取れた体系が存在していることが解るであろう。
私が現在の研究を始めた当初の動機は、我々の身の回りにあふれている「モノ」が進化することにより、いかに我々の生活が便利に、豊かになったかを分析する事であった。この研究は二〇〇八年に既に進めていたのだが、研究対象のあまりの大きさと複雑さにより、なかなか捗らなかった。モノは、それが生産されるに至る経済的な文脈と、使用される社会的文脈、そして、それが生産されるために必要な技術的文脈に影響を受ける。結果として「総合的社会科学」のような広範に及ぶ知識が必要であるが、他方で研究を推進する中心的な体系が無ければならない。シュンペーターとは異なり、当時の私はこの研究を進めるだけの明確なビジョンを持っていなかった。しかし今回、スマートフォンを中心的話題とした著作の執筆を契機に、再びモノの進化について考える機会を得、その研究がわずかながらでも前進したことは、楽しい副産物であった。
本書は様々な人の助けによって実現したものである。本書の内容は、前述の「モノの進化」のアイデアに加え、シュンペーターの学史研究、ネオ・シュンペーターの理論研究、そして二〇一七年から開始したICTパラダイムに関する研究に基づいている。
シュンペーター研究に関しては、北大で毎月開催されている社会経済学研究会において、岡部洋實教授、佐々木憲介教授、恩師である西部忠教授(現専修大学)、そして橋本努教授からさまざまな助言やアドバイスをいただいた。経済学史学会北海道・東北部会においては、北海学園大学の森下宏美教授や、北星学園大学教授を昨年度退官された田村信一先生から、そして、経済学史学会や進化経済学会の大会では、摂南大学の八木紀一郎先生から貴重なアドバイスを頂いた。
また、ゼミの先輩であり北海商科大学の舛田佳弘准教授には、初稿前の原稿を一読していただき、疑問点や間違いを指摘していただいた。貴重な助言やアドバイスを頂いた皆様に、改めて感謝申し上げたい。
また、研究を続けながら同書を執筆する時間と環境を下さった株式会社GC企画の金子哲司会長と矢ヶ部啓一社長、そして北大ビジネス・スプリングの佐々木身智子氏にも、謝意を表したい。会長と佐々木氏にはICTの最前線で活躍する様々な人と接する機会をいただいた。私事ではあるが、執筆中に誕生した第一子の子育てをしながらも研究と執筆を続けられたのは、ひとえに金子会長のご厚意によるものである。
写真資料を提供してくれたNTT技術史料館にも感謝したい。特に、窓口となっていただいた広報の小川理恵氏には、色々とこちらの無理な依頼を聞いて頂いた。 そしてなによりも、このお話を私に持ってきてくださった編集の中西豪士氏に深く感謝したい。アイデアが形になるという事は幸福なことであり、その切掛けをいただけたことは何より幸運であった。さらに、遅筆の私を根気強くサポートし、改善のためのさまざまなアドバイスやご提案を頂いた。
様々な方の助力を得たにもかかわらず、なお存在する本文中の誤りの責任は全て、執筆者本人に帰するものである。
最後に妻と、本書よりも一足先に生まれた娘に感謝したい。どんな時も二人の存在は、心強い後押しとなった。

二〇一九年九月

小林大州介



18.『進化と暴走』

ケニアのトゥルカナ湖畔にあるTurkana Basin Institute(TBI)は、リチャード・リーキー博士と米ニューヨーク州立Stony Brook大学の共同で設立された人類進化研究施設である。私は二〇一八年八月、約一三〇〇万年前の中新世類人猿(Nyanzapithecus alessi)が発見された地域でのTBIによる発掘調査に参加した。人生最初のアフリカでの野外調査へリチャードとミーブ・リーキー夫妻に連れて行ってもらったのもトゥルカナ湖の西部で、約一六〇万年前の化石人類(KNM-WT15000, 通称ナリオコトメボーイ)出土付近での調査だった。現在のTBI副所長でケニア出身のアイザイア・ネンゴ博士は、ハーバード大学大学院でデヴィッド・ピルビーム教授の指導を一緒に受けた旧友である。
トゥルカナ地方からは多数の貴重な化石人類が発見されており、考古学的・民族学的にも興味深い地域である。TBIは様々な研究の拠点として重要な役割を果たしている。また、多くの財団および企業からの支援を受け、学術的な研究を行うだけではなく、周辺の土地の人たちの生活の質向上のためにも積極的に活動している。なお、施設からの眺めと夜空は絶景である。
私は滞在中、TBIを支援している米カリフォルニア州ロータリークラブ支部のグループと出会い、周辺の小学校を回って太陽光パネルを設置し、本や玩具を寄付する彼らの活動を見学させてもらった。建物の中に机も椅子もなく、教師はボランティアという小学校もある。ある意味、取り残されたような地域なのだ。定期的に家畜を連れて移動する伝統的な生活を送っている人が多い。近年では乾燥化が著しく進んでおり、本来牛を飼うことを誇りとしていた彼らも今やラクダやヤギで生活するようになっている。
周りをみわたすと、文字通り何もない。ただ荒涼な土地が広がっているだけである。ところがである。小学校を案内してくれた郡の役人の女性は、絶え間なく携帯電話でだれかと話をしていた。集まった子供たちの中に、携帯をにぎりしめている子もいた。ケニアは携帯電話の基地局建設ラッシュで、携帯の普及が都市部だけではなく急激に進んでいる。三〇年近く前には、マサイ族の若者たちは大きなラジカセを肩にかついで、誇らしげに歩いていた。あの頃と同じ民族衣装で美しいビーズ細工の腕輪をつけている彼らだが、いまや携帯電話を持っている。携帯は単なるおしゃべり用ではなく、家畜の取引や家族への仕送りなどが簡単にでき、彼らにとっては生活に欠かせないものとなっているのだ。ただし、衛生的なトイレやシャワーはない。生活水は限られた数しかない井戸や、溜まった泥水を利用している。人と人との?がりが何よりも優先されていることは明らかである。この光景から、人間とは? を考え込まない人はおそらくいないだろう。
ケニア共和国は英連邦国として独立したのち一九六四年に成立した。国境や郡の境界は人為的に引かれたもので、スワヒリ語と英語が公用語ではあるが、今でも四二もの部族からなり、異なる言語を話す。今日では、部族間での婚姻は多いそうだが、利用したタクシーの運転手(彼はキクユ)は、違う部族の友人の結婚式に参加した際、言葉が全くわからなかったという。TBIの発掘にアルバイトで参加している若者たちもトゥルカナ語しか話さない。身振りと笑顔で簡単な作業は楽しくできたが、彼らともっと会話をしたかった。例の七四言語を翻訳する商品に、ぜひトゥルカナ語も入れて欲しいと思う。
本書は、編集者中西豪士さんの提案で手がけることになった。貴重な機会をあたえてくださったこと、そして構成や表現に的確なアドバイスや励ましをいただき、心から感謝したい。助言をもとに、とにかく丁寧な説明を試みたつもりだが、冗長な箇所はご容赦いただきたい。
正直なところ、執筆を開始する前から今に至っても、ダーウィン、そしてダーウィンから影響を受けた多くの人々やダーウィン研究者の方々の霊(象徴思考の産物)のようなものをずっと肩の上に感じて、気が重い状態が続いている。だが、思い切ってひき受けたことで、これまで考察してきた内容をまとめることができ、良い経験だったとも思う。
『種の起源』を丁寧に読むには根気がいる。しかし、ダーウィンの渾身の序章だけからでも彼が伝えたかったことを感じることはできるだろう。なお、リチャード・リーキー博士は、従来の人類進化研究とその成果が一般社会であまり浸透せず関心を持たれていないことを憂い、壮大なプロジェクトを立ち上げた。それは、ケニアに人類進化の博物館を建設することである。建物のデザインは、トゥルカナ湖周辺で発見されたアシュリアン型ハンドアックス(握斧)を模しており、数年後の完成を目指している。彼は、人類進化という壮大な出来事について、博物館で「ワオッ!」体験を提供することで、人々の関心を高めたいという。ダーウィンのメッセージを考えるには地球上で最適の場所になるだろう。

二〇一九年一一月

内田亮子



19.『核時代のテクノロジー論』

哲学に何ができるか—この問いに答えてくれそうな相手として、私はハイデガーの哲学を選んだ。3・11を経験し、自分の選択は間違っていなかったと改めて確信したが、文献研究としては邪道かもしれない。万巻の書を虱潰しに調べ上げる文献学者の覚悟があるとも言いがたい。それでも、「文献学 Philologie」の語源にあたる語句は、私の好みに合っている。「ロゴスへの愛」がそれである。
「言論の愛好 philologia」は、一つには、「書物への愛」に結実するものであるに違いない。古典を尊重する人文学に身を置くはしくれとして、むろん私も「書物好き」でありたい。伝統的な活字文化が近未来に絶滅しかねない今日的状況を憂慮してもいる。他方で、「ロゴス好き philologos」には、もう一つ別の意味合いがあってよい。「フィロロゴス」とは「言論を愛する者」なのである。
言論に生きることに喜びを見出し「ロゴスをもつ生き物」と自称したのは、古代ギリシア人だった。その感化を受けたハイデガーも、相当の「言葉好き」だった。語源への偏愛ばかりではない。著述の公刊はもとより、講義に全力を注ぎ、講演を精力的にこなし、草稿書きに明け暮れた無類のロゴス愛は、百巻を超える全集に結晶している。それが昂じて死後えんえんと筆禍に遭っているほどである。自分の言葉を存分に述べ、記すことがよほど好きでないと務まらない境遇だろう。
私はそこまで筋金入りのフィロロゴスにはなれそうにないが、それでも、自分の考えを言い表わすのは好きである。生来の口下手ゆえ人前で話すのは苦手だが、文章を書いてそれを発表するのは—書く時の産みの苦しみを含めての話だが—愉しいと感じる。
本書を書き下ろすにあたって、私は、ハイデガーのテクストを読み解く作業に仮託して、自分自身の考えを思い切って述べようと思った。しかしまだまだ言い足りていない。とりわけ、終盤でふれた「戦争の神の死」や、平和憲法の「活用」をめぐっては、その重大さに比して、ほとんど何も語っていないに等しい。こういった絶好の話題を前にして、「言葉足らず」つまりロゴスの欠乏という弊に、われわれが陥っているとすれば残念なことである。ここは、「言論嫌い misologos」は「人間嫌い misanthr?pos」も同然だ、としたプラトンの説を拳々服膺すべきだろう。
言論への愛にあふれた人間好きの人、加藤典洋氏が、昨年五月に亡くなった。死の直前に『9条入門』(創元社)という、いかにも論争好きの本を出されたのは、言葉に対する信頼に満ちた言論人の証だろう。氏の遺志をしかと継いで、われわれも憲法について大いに語り合うようにしたいものだ。
ロゴスを愛することを学ぶこと。自分の言葉を大事にし、他人の言葉を尊重し、公的関心事をアッケラカンと議論すること—そういう意味での「フィロロギア」の精神が、核時代の経験にかけてはまぎれもなく先進的なこの国に、もっともっと浸透することを願っている。

二〇二〇年一月

森一郎



20.『「働く喜び」の喪失』

二〇二〇年二月一六日、新型コロナウィルスが感染拡大の兆しを見せるなか本書を脱稿した。その直後に国内でも陽性者数が急増し、社会状況は一変した。四月七日に発せられた「緊急事態宣言」は、すでに五月二五日に全面解除されているのだが、現在もなお感染の再拡大と今後の生活への不安が社会を覆っている。この「あとがき」を書いている六月一四日は、ちょうど一〇〇年前にヴェーバーがスペイン風邪に関連すると思われる肺炎のために急逝した命日にあたる。
『倫理』に疫病に関する記述はない。しかしデフォーが描いたロンドンのペスト禍(一六六五年)が示すように、中世に引きつづき近世も疫病は人びとを襲っていた。それは宗教戦争の時代であり、政治的にも経済的にも大きな転換の時代であった。
『倫理』は、この激動の時代に、まず真面目な信徒が生活態度を新たにし、社会秩序が再編されていく過程を描き出している。現代日本では厚労省が「新しい生活様式」を発表したが、かつてのピューリタンも宗教的不安のなかで自己規律化し、新しい生活様式(Lebensstil)を送るように自らの生き方・生活態度(Lebensfuhrung)を改めていったのである。 
宗教的にも経済的にも自信に満ちたピューリタンの根底に宗教的不安があったという『倫理』の洞察は、高みに立ったと自惚れる近代人への警句で結ばれている。今回の世界的なウィルス感染は、じつはすでにリスクと不安にあふれていた現代社会の脆弱な部分を、次々と剥き出しにしていった。医療体制がここまで危機に瀕したことも、考えれば思い至りそうなものだったが、正直驚きであった。困難がつきまとっていたテレワークも否応なく普及した。この規則への従順とモニタリングの強化、そして孤立と新たなつながり方の経験は、将来の生活態度にどう影響するだろう。リアルとオンラインを適度に融合させた開放的な新境地が拓かれるのか、新たな殻が形成されその内部で規律化が進むのか、その他さまざまな可能性の前に私たちは立っている。長期的な視野からの考察が求められるが、そのとき『倫理』は一つの古典として参照されうるだろう。 
「いま読む!名著」シリーズの一冊としての本書は、おそらく多くの『倫理』読者が意識せずに試みているだろう二つの指向、いまの視点から『倫理』を読む指向と、『倫理』を通していまを読む指向との両者を意識しながら執筆された。もちろん一六、一七世紀のヨーロッパに関して二〇世紀になされた考察を、二一世紀の日本社会の問題と素朴に重ねることなどできないのだが、古典は多少とも強引な読みを許容してくれるものと、ここは自分に都合よく考えておく。 
研究を続けるには家族や恩師をはじめ陰に陽に多くの恩人がいる。すべての方のお名前を記したいところだがそれは叶わないので、ここではとくに、長らく筆者のヴェーバー研究を支えて下さった中野敏男氏、宇都宮京子氏、鈴木宗徳氏、三笘利幸氏のお名前をあげさせていただく。研究会や論文集やシンポジウムなど、さまざまな企画でご一緒し頻繁に議論する機会に恵まれたことは、筆者の計り知れない財産となっている。 
またそもそも編集者の中西豪士氏が雑誌の拙論に目をとめて、一面識もない筆者に声をかけて下さらねば、書き下ろしの本書は存在の痕跡すらなかった。本シリーズの重心は先述した二つの指向の後者にあるにもかかわらず前者を相当盛り込むことを認めて下さり、何より遅々として進まない原稿を粘り強く導いて下さったことに感謝の意を表したい。 

二〇二〇年六月 

荒川敏彦